10' プリント25
本日はお日柄もよくプリント日和。途中でもらった栗の皮むきをしたり、南瓜を煮たりしながらの作業。見直しは使えそうな写真もあるけれど、ダメなのもある。その場の日常の質をどうとらえていたいのか、あまりに受動的で、映像がバラバラであった。積極的に映像をつかみ取っていくことがこれからは必用。現場に行けばそう簡単には撮れないでしょうけど、少なくともこの作品で何をしているのか多少は判るだけかなりましな状態。
この後、金曜日の校正です。
10' プリント24
昨日見直したネガのプリント。今まで自分の写真の一枚ごとの位置づけがよく判っていなかったのですが、かなり判るようになった。やっと全体が見渡せるようになってきた。3年間もかかって何をやっているのか!ということですが。 これだけでもヨーロッパにいった意味があったというものだ。多分また再撮やら出てくるでしょう。
田中一村展 を 見て
千葉市美術館で開催中の田中一村展。幼少期の作品から、最後の作品まで、作家の人生をそのままなぞる展覧会。良かったすなぁ。まさに天才少年から始まって、何でも描けてしまう技巧で中国・南画風の描ける絵、売れる絵を描きまくったと思われる、どんどん描くぞという気力が溢れている若い日々から、一転して内省的になり、そこにある自然を見つめるようになります。多分売れることと、自分の表現をすること、の乖離があって、彼は自分自身の表現を追い求めることを選択した。そこからは自然をきちんと描写すること、細部まで観察し、その対象を絵としてつかむことに情熱を傾けていった。植物画の枝の傾きや葉の枯れ具合などは綿密に観察した結果でてきた賜物でしょう。千葉在住の時にその基礎が築かれ、中四国への旅行で何かをつかんだのでしょう。色彩が喜びに溢れているように見えました。
奄美に移住してから、また作風が深化し、実際のモノを精緻に把握しながら、絵にする時に彼なりの抽象化を行い、彼独自の世界を築き上げる。一枚の絵の中に、墨と色を使い分けたり、形の描き方、色の使い方であったりするものを使い分けて、一枚の絵の中に世界を漉きあげていくような感じを受けました。
最後には海のかなたの彼岸へと向かっていく眼差しとそれを表現しえた絵をモノにすることができた希有な人です。伝統的な日本画の手法でも、こうした高度な表現にたどり着くことが出来るんだな。この人の絵は確かに世界をつかんでるように感じました。
ゴッホは、自分という表現しか出来なくて、それを理解してくれる人がほとんどいなくて自殺にまで至りましたが、この人は奄美に移住した時点で他人からの視線でなく、自分と自然との直接の勝負だけにこだわって、しかもそれを成し遂げることができたわけで、これはすごいことですね。作品を作るうえで、他人からの評価を云々というのは難しい問題ですが、当然収入に直結するトコロもありますし、ただ売れる・売れないの基準だけで考えるとあんまり良いいことないねぇとは痛切に感じた。